斜呉箱への投函、ありがとう!心から感謝します。
実に興味深い文章です。「本質」か。
結論から言うと俺は「本質」とか、それこそ「真理」みたいなものは、知識ある大人が安易に手を出したらヤバいことになるものだと思っています。ドラッグみたいにズブってしまう。だから俺はあえて極力考えないようにしています。なので、俺には例えばそれが歳をとるごとに見えてくるものなのか、はたまた歳をとるごとに見えなくなっていくものなのか?といったことすらわかっておりません。
昔、かのジョン・レノンが「真理」を知る為にインドに行きました。で、マハリシという僧侶に教えを乞いました。が、マハリシはレノンやその他のスター目当てに付いてきた女の子たちに手を出して、早い話がセックスをして、レノンは「なんだこいつは。ただのセクハラ爺じゃねえか」と幻滅して帰国後、「神」というものを深く深く考えた末、ずばり「神」という曲を拵えて、その曲の中で「神みたいなもんはおらん!」と歌いましたが、じゃ、この「神みたいなもんはおらん!」という考え方が本質なのか、真理なのかというとそれはそれでまた違うような気がして...ね、ズブってるでしょ?
ただ俺は、例えば、小さな子供が空を見上げてとある雲を指さして「ヒコーキ!」って言ったり、チューリップがいくつか咲いている花壇の所へ走って行って、青いチューリップを指差して満面の笑みで「赤!」と言ったり、百均に足を運んだ際に絵の具も持ってないのにあの昔からある絵の具用の黄色いバケツをむやみやたらに欲しがったりするのを見ては「こいつらの方がずっと本質とか真理とかを知ってるのかもなあ」などと思ったりして、さらに、願わくはこっちが、この子供の心を突き動かしているものの方が「本質」であって欲しいなあ、「真理」であって欲しいなあ、などと考えております。
一方、今年のタイガースは強い!これは立派な「真実」です。
斜呉箱からの返信〜故郷の忘れ者様宛
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://www.ikkei.me/mt/mt-tb.cgi/451

大人の本質。
子供の本質。
本質は変わらない。
大人は、言葉や知恵を持ち。
物事を進めると思います。
言葉や知恵は、経験し自分で探すと手に入れコトが出来る。
今度は、言葉や知恵に頼ってズルくなる。本質を見えずに。
子供は、素直だと思います。
そんな生き方も好きだが。
一憩さんの『心で抱きしめた』とか『彼に良いコトあれ』とか、あれが神だと思います。
仕事は、天職と適職があり。
天職は心豊かに、楽しめると。
適職は、自分が得意分野だとか、性質に合うとからしい。
わかりにくい話しだが。
返信、本当にありがとうございます。
非常に恐縮ではございますが、コメント返し致します。
私の考えるところの本質とは以下の通りです。
人はひとりでは生きていけないものであり、そのモノ全てに対する最低限の礼儀であったり、敬意であったり、感謝のようなものを基準とした表現であると捉えております。
それが正解であれば、あなたはだいじょーぶ!
偉そうなことを云ってすみません。少し酔っておるようです。
ところで、阿仁真里さんはお元気?