言いたいことが山のようにある。が、言えない性格ゆえに音楽で吐き出すことを覚えた。
「弱音の数だけ人間嫌いになる。言えないから歌うけど何一つ伝わらない」―負け犬レッテル
「面と向かって言えないことを歌うロックンロールスター」―僕はフィクション
ってな具合に俺は「言えないから歌ってんだバカ野郎!」ってことを歌の中で繰り返し言ってきた。奥田民生も斉藤和義も「俺の言葉は歌の中にある」って歌ってる。
俺がストレスというものと無縁で、性格的にも温厚でいられたのはひとえに音楽のおかげだった。
ところが、リプライズ解散後、現実が、いや、自分の「現実力」の無さが災いして音楽をやることも、聴くことさえも難しくなってしまった。しかしながら言いたいことは日々、頭の中に溜まっていく。気分が悪い。「吐き出さねば!」焦ったところでギターは手元になく埃をかぶり、ギターが埃をかぶっているようでは当然、言葉を「詞」に変え、その詞を迎え入れてくれる器=メロディが生まれない。気分が悪い。が、吐けない。という地獄。
「音楽ができないのなら」ということでやり始めたのが絵を描くことだった。去年の末、俺はものすごい勢いで絵を描いた―仕事中に。テーマもメッセージも糞っ食らえで描いた―仕事中に。描き終わると毎回、我ながら「なんじゃこりゃ?」と思った。が、自分の中の何かがそこにあるような気がしたし、びっくりするくらい周りの人たちが褒めてくれたので嬉しくてガンガン描いた。
が、残念ながら俺にとって絵は趣味の領域を出ず、頭の中のものを吐き出せるとしても音楽の10分の1に満たないことに気付いた。発表の場も無いし、徐々に創作意欲は低下して、気付けばペンを握らなくなっていた。
ギターを抱かず、ペンも握らない日々の中で、俺は「ものつくり」として完全に腐ってしまい、負け惜しみ気味に「今、俺は死んだふりをしてるのであって、死んだのではない」などと呟きはじめた。心の中では「もはやこれまで...」と思っていた。
もう駄目だ..
本当に駄目なのか?
もう駄目だ..
本当に駄目なのか?
自問自答を繰り返す悶々とした窮屈な日常。唯一の救いはかつての戦友、数年間一緒に関西圏のライブハウスを転戦して歩いた平田剣吾氏(以下 剣吾くん)の存在であった。家が近いこともあり、月1くらいのペースで会い、お気に入りのレコードと酒を持ち寄っては語り合った。俺を「ものつくり以外の何者でもない」人間として見てくれるのが嬉しくて、ついつい、無意識とはいえ、剣吾くんには数々の弱音を吐いた。吐けた。「音楽に戻りたい。本来の自分に戻りたい」みたいな言葉が口をついて出た。また「文章を書きたい」とも言った。とにかく、どんな形でもいいから言葉を吐いて、それを誰かに見て欲しかったのだ。
そして、本当に忙しい中、仕事の合間を縫って、剣吾くんが「立ち上がれ!」とばかりに立ち上げてくれたのがこのホームページである。ものつくりとしての俺を誰よりも評価し、理解してくれている人の手による、俺の最後の砦。それがこのホームページだ。
音楽での復活はまだ先の話だとしても、ここに絵やら文章やらを寄せることで、ものつくりとしての自分を一分一秒たりとも忘れることなく、いずれステージに戻る日のために緊張感を持続していこうと思う。俺は必ずステージに戻る。それまでの間、俺の言葉はここにある。
復活への第一歩。
今、これを読んでくれてる皆さんにはとりあえず「ただいま」を言いたい。そして、剣吾くん、本当にありがとう!
では、起死回生の再出発。始めます!!
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