☆3000☆

当ブログ「一憩合格」の記事数が、開始から6年半を経た本日、当記事をもって、遂に3000本に到達した。1日に1本のペースで10年書き続けたとしても、3650本にしかならないんだから、なかなかのペースで書いてきたものだと思う。

この達成感…これを分かってくれる人は、悲しい哉、あんまりいないと思う。でもね、TwitterやFacebookみたく、短くて当たり障りのない日記的な記事を書き連ねてきたわけじゃなくて、毎度、割と長くて、当たり障りしかないエッセイ的な記事を、身を削り、友達を減らしながら、書き連ねてきたんでございますよ。それも3000本。我ながら「よくやるな。馬鹿じゃないか?」と思う。

私の場合、音楽だけじゃ吐き出しきれないものがあって、それを、イラストを描いたり、文章を書いたりすることで吐き出してきたんだけど、文章を書くことはイラストを描くことよりも好きなことで、それこそ音楽に迫る勢いで好きなことだから、このキチガイ染みた「3000」という数字に辿り着けたんだと思う。もし、このブログがなくて、「3000」が吐き出されることのないまま頭の中に蓄積され続けていたとしたら…と思うとゾッとする。だから、管理人には感謝してもし切れない。

ありがとう!

さあ、次は私の大好きな数字「4」が頭にくる「4000」を目指して、書き連ねて参ることにいたしましょう。

「4000」に辿り着く頃、私はもっと、有名になってるかな?

「4000」に辿り着く頃、私はさらに、友達をなくしてるかな…。

「4000」に辿り着く頃、私はまだ、言いたいことを言えてるかな!


written by cobain/reishi

私の奥さんは、特別音楽に詳しい人というわけではないけど、たまにビシッと的を得たことを言って私を驚かせます。先日は『綺麗な動物』を聴いて、「ニルヴァーナみたいやね!」と言って、私を驚かせました。

そう言われてみれば確かに、出だしと終わりをカートが書いて、出だしと終わり以外を私が書いたような感じがあります。

カート・コバーンと和田怜士の共作…そう考えると嬉しいのなんのって!

こうなったらもう、やるしかない!

次回ライヴで初披露と参りましょう!


制作過程の物語

ティンカーベルのような存在がいて、そいつが、暗闇の迷路を歩く私の耳元で「そこを右に」とか「もう少し真っ直ぐ行ったら壁に突き当たるからそこを左に」とか言って道案内をしてくれる。私はその声にめちゃくちゃ従順で、これっぽっちも疑う気持ちがない。で、「さあ、着きましたよ」の声が聞こえたと思ったら、パッと明かりが点いて、辿り着いた場所が始めにいた場所であることに気付く。間違いなく始めにいた場所なんだけど、私は自分が迷路から脱出できたことを実感して、歓喜する。

新曲『綺麗な動物』は、初めて歌詞にメロディーを付けたこともあり(いつもは、先にメロディーがあって後で歌詞を付ける)、制作過程で、今まで感じたことのない流れを感じた。で、その感じたものを例えるとすれば、「ティンカーベルと私」になると思った。

とにかく、メロディーがあっちに行ったりこっちに来たりした。でも、今回、私はそれを咎めず、なるに任せた。すると、最終的には、メロディーはちゃんと元いた場所に戻ってきて、その瞬間に「形になった」と思った。

もう少し磨けば、絶対、良い曲になる。


気付いてもらえないのなら気付かせるまでのこと

和田怜士初の…っていうか、世界初のアコギ一本ロック・オペラ、新曲『綺麗な動物』 が順調に仕上がってきている。
1曲の中に5、6曲分の情報量がある、6分を超える大作。

さすがにこれで何人かは気付いてくれるのではなかろうか。

「和田怜士って天才なんだ」って。


人間の念

乱暴な運転の車に当たられそうになった時、「頼むからどっかで事故ってくれ!」と思う。できれば電柱やなんかに激突して、他人を巻き込まずに、運転してる奴だけくたばってくんねえかな…と思う。

車を乱暴に運転してる奴らは、人間の念というものをナメている。彼らは、おびただしい数の人間から「頼むからどっかで事故ってくれ!」と思われている。事故ることを切に願われ、祈られている。これだけの念が実を結ばないわけがない。よって彼らは、いつかどこかで必ず事故る。

ライヴハウスやライヴバーで、頭に「クソ」が付くほどくだらないバンドやソロの奴を見ると、「何の為に、誰の為に音楽やってんだ?やめればいいのに」と思う。それを声に出して言う客は一人もいないけど、皆がそう思っているのを肌で感じる時がある。奴らもまた、人間の念というものをナメている。一方、ごくごく稀ながら、素晴らしいライヴを見た時には、「何をグズグズしてやがる。とっとと売れやがれ馬鹿野郎!」と思う。これまた誰も声に出して言いはしないけど、素晴らしいものを見て、聞いて、嬉しいと思う気持ちは拍手の音の中に表れている。が、素晴らしいアーティストに限って自分の中のハードルが高く、自己評価が低いので、拍手の音の違いに気付いていなかったりする。彼らもまた、人間の念というものをナメている。

人間の念ーこれをもってすれば、地球上から戦争を一掃することだって難しいことではないと思う。でも、どんなに頑張っても、スプーンを曲げることはできないと思う。


箱の中にも一年

あちらでやり、こちらでやり…一ヶ所にとどまらず、色々なライヴハウスに出るというのも一つの手だというのは、私もバンド時代にはそうしていたし、よく知っている。そして、どちらかといえば、そういうやり方の方が一般的だということも、よく知っている。でも私は、少なくとも今年いっぱいは、一ヶ所に出続けることに決めている。

何故か。

どんなライヴハウスだって、繰り返し出続けて初めて見えてくるものがあるんじゃないか?と考えたからである。そして、それは、ライヴハウス側から私を見る場合にも同じことが言えて、繰り返し出続けて初めて見てもらえるものがあるんじゃないか?と考えたからである。

そのライヴハウスが今、何をしていて、どこへ向かっているのか。私が今、何をしていて、どこへ向かっているのか。その試行錯誤と変遷を、知る必要があり、知ってもらう必要がある。

確かに組織対個人ではある。でも、人間対人間であることに変わりはない。その人のことを理解したければ繰り返し会うに越したことはないし、その人に自分のことを理解してもらいたければ、やはり、繰り返し会うに越したことはない。繰り返し会い、理解することで、相手が自分に何を求めているのかが見えてくる。

とにかく、今年、私は、あの天神橋筋商店街にあるライヴハウスに出続ける。そして、ある程度の好き嫌いはさておいても、お互いに正しく理解し合えていることさえ実感できたら、あそこを「ホーム」として、ジャンジャン外へ繰り出していこうと思っている。

普段は闘争心のカケラもないくせに、一歩音楽の世界に足を踏み入れると途端に喧嘩腰になる、計算の「け」の字も無いような私にも、戦略のようなものがないわけではないのだ。


歌詞『綺麗な動物』

叶わない夢を宝石と呼んで

冷たい香水に浸す

乱反射する蝋燭の灯りが

五線譜を飾る

子供の恋愛模様に

嘘のない悪夢があり

もて遊ぶように僕の命を転がした

六面体のサイコロが

一筋の道を

呼吸のリズムに倣い下っていく

プライドを棄てて

地雷を踏め

砕け散った言葉が

君の唇

辿り着くまで

堕落し切った綺麗な動物

歪んだ世界の弛んだ二の腕

喰らいついたまま離さない

破り損ねた約束の数だけ

歳を重ね

重ねた歳の数だけ

子供の夢を見る

プライドを棄てて

地雷を踏め

砕け散った言葉が

君の唇

辿り着くまで

堕落し切った綺麗な動物

歪んだ世界の弛んだ二の腕

喰らいついたまま離さない

叶わない夢を宝石と呼んで

宝石と呼んで

宝石と呼んで


新曲完成

新曲が完成した。タイトルは「綺麗な動物」

数ヶ月前、ある人と曲を共作することになり、私は作詞を担当して、書いて、その人に渡したのだが、先日の台風の日に家で詞を見ながらギターを弾いてたら、あろうことかメロディーが浮かんでしまい、結局、完全に私のオリジナルになってしまった。嬉しいやら申し訳ないやら…。

曲はロックオペラ調に仕上がった。Aメロ〜Bメロ〜サビの繰り返し、といった通常の流れではなく、複数の曲を組み合わせて、一曲に纏め上げた感じ。

あとはアレンジ。アレンジさえ納得のいくものになればライヴでやる。

乞うご期待。


私の中のJ&P

私の中に、不良と優等生がいる。言うなれば、ジョンとポールがいる。

激しい曲を書きたい時、ジョンにお出まし頂いて、優しい曲を書きたい時、ポールにお出まし頂くように、ブログを書く時にはジョンにお出まし頂いて、フェイスブックを書く時には、ポールにお出まし頂く。ブログを書く時に、ポールが出てくることがあっても何ら問題ないが、フェイスブックを書く時にジョンが出てくると友達がいなくなる。

社会人としての顔である「和田一憩」はポール。

音楽人としての顔である「和田怜士」はジョン。

和田怜士でいるべき時に、ポールに出てこられると、壊せるものも壊せなくなる。

和田一憩でいるべき時にジョンに出てこられたら、壊すべきではないものまで壊してしまう。

私の中のJ&Pー仲良くしてくれるに越したことはない。